2011年 02月 22日
整形について |
美容整形について、みなさん、どうお考えかしら。(なぜお嬢言葉?)
っていうね。
いや、だって、さっきからビューティーコロシアムやってっからさ。いや、見てないけど。
よくさ、あるじゃないですか、
「整形についてどういう意見を持ってますか?」とか、
「整形について反対意見が多い」とか、
そういう、馬鹿げたやりとり、あるじゃないですか。
でも、僕、思うんです。
整形を考えるとき、まず一番に思い当たるのは、「意見」じゃなくて、「感覚」じゃね?と。
それを硬い言葉で言い換えると、「倫理観」ていう言葉になるだけの話で。
だから、頑固親父の言う、「整形はいかん!」の一点張りは、意見じゃないんです。
ただの感覚の伝達ですよねぇ。
僕個人としては、整形についての意見は持っていません。本当に何も持ってない。
ただ、「感覚」はあります。
感覚はこう言っています。「整形はしちゃだめだ」
ところで、よく議論に持ち上がる整形は、大抵、「手段としての整形」ですよね。
就職の面接など、人生を効率よく生きていくために、整形の必要が出てくる。
はぁはぁ、それは結構じゃないですか。
でも、そこで混同しがちなことがありますよね。
それは、そのレベルでは「良い悪い」という「価値基準」は採用されないということです。
だって、「必要」なんだから、「良い」も「悪い」もないでしょ。
だから、このレベルで良い悪いを議論しあっている人たちは、かなりこっけいだと思います。
彼らからしたら、要は整形そのものの是非より、その奥にすくっている、日本の古い価値観や倫理観を問うている場合が多いわけでしょ?知らないけど。
少なくとも、良い悪いを問わずには出来ない行為、それが整形というわけです。
良い悪い、つまり、倫理観ですね。
そんで、話は最初の方に戻るんだけど、その倫理観っていうやつは、別に意見としてあるんじゃない。
単なる皮膚感覚、生理的感覚としてあるに過ぎない。
でも、それは、無視できないですよね。
いや。
むしろ、それがすべてです。そこに問題のすべてがあります。
ナイフで肌を傷つけることはぞっとする。
自殺する人を助けたくなる。
などなどの反応を観察すれば、お分かりになるはずです。
倫理観は、僕たちの無意識に、根深い、底知れない、権威を持っています。
それは否定できません。
それに、よく言う話だけど、自分の宿命からは誰も逃れられません。
整形したって、自分の子供は不細工に生まれてくる。あーあ。
日本人は、精神と肉体、どちらにも自分を認めるのに対し、
外国人は、精神が自分で、体は器に過ぎない、という考えらしいですが、それも、なんか、表層的というか、うそ臭い話ですよね。
だって、20年以上、自分の体というものと付き合ってきて、自分の体に愛着を持っていない人がいるでしょうか。
そもそも、愛着がなければ、嫌悪感が生まれるわけないんですから。
もっときれいになりたい。
そう思うのは、自分の体に愛着があるからじゃないですか。
僕は、整形後、いくらその人が美しくなったからって、その人を美しいとは思わないでしょう。
なぜなら、
それ以前に、「美しくなりたい」という動機自体が、「美しくない」からです。
「きれいになりたい」だの、
「生まれ変わりたい」だの、
そういう人間の意思は、みみっちくて、欲深くて、
「美しさとは程遠いな」と思うだけなのです。
本当に美しいものは、当然、動機なんてみみっちいものは持ちませんから。
美とはなんですかね?
僕は、美を知っていると思っています。
そして、それは意見ではありません。感覚として、知っているんです。
一つ言える事は、そもそも、美しさとは、希少価値があるから、美しさたりえているわけです。
美とは特権的なんです。むしろ、絶対的でなければ、それは美とは言えません。
排他的で、醜いものを浮き彫りにしてしまうほど、残酷なものです。
だから、人間などは、そもそも論外なのです。
っていうね。
いや、だって、さっきからビューティーコロシアムやってっからさ。いや、見てないけど。
よくさ、あるじゃないですか、
「整形についてどういう意見を持ってますか?」とか、
「整形について反対意見が多い」とか、
そういう、馬鹿げたやりとり、あるじゃないですか。
でも、僕、思うんです。
整形を考えるとき、まず一番に思い当たるのは、「意見」じゃなくて、「感覚」じゃね?と。
それを硬い言葉で言い換えると、「倫理観」ていう言葉になるだけの話で。
だから、頑固親父の言う、「整形はいかん!」の一点張りは、意見じゃないんです。
ただの感覚の伝達ですよねぇ。
僕個人としては、整形についての意見は持っていません。本当に何も持ってない。
ただ、「感覚」はあります。
感覚はこう言っています。「整形はしちゃだめだ」
ところで、よく議論に持ち上がる整形は、大抵、「手段としての整形」ですよね。
就職の面接など、人生を効率よく生きていくために、整形の必要が出てくる。
はぁはぁ、それは結構じゃないですか。
でも、そこで混同しがちなことがありますよね。
それは、そのレベルでは「良い悪い」という「価値基準」は採用されないということです。
だって、「必要」なんだから、「良い」も「悪い」もないでしょ。
だから、このレベルで良い悪いを議論しあっている人たちは、かなりこっけいだと思います。
彼らからしたら、要は整形そのものの是非より、その奥にすくっている、日本の古い価値観や倫理観を問うている場合が多いわけでしょ?知らないけど。
少なくとも、良い悪いを問わずには出来ない行為、それが整形というわけです。
良い悪い、つまり、倫理観ですね。
そんで、話は最初の方に戻るんだけど、その倫理観っていうやつは、別に意見としてあるんじゃない。
単なる皮膚感覚、生理的感覚としてあるに過ぎない。
でも、それは、無視できないですよね。
いや。
むしろ、それがすべてです。そこに問題のすべてがあります。
ナイフで肌を傷つけることはぞっとする。
自殺する人を助けたくなる。
などなどの反応を観察すれば、お分かりになるはずです。
倫理観は、僕たちの無意識に、根深い、底知れない、権威を持っています。
それは否定できません。
それに、よく言う話だけど、自分の宿命からは誰も逃れられません。
整形したって、自分の子供は不細工に生まれてくる。あーあ。
日本人は、精神と肉体、どちらにも自分を認めるのに対し、
外国人は、精神が自分で、体は器に過ぎない、という考えらしいですが、それも、なんか、表層的というか、うそ臭い話ですよね。
だって、20年以上、自分の体というものと付き合ってきて、自分の体に愛着を持っていない人がいるでしょうか。
そもそも、愛着がなければ、嫌悪感が生まれるわけないんですから。
もっときれいになりたい。
そう思うのは、自分の体に愛着があるからじゃないですか。
僕は、整形後、いくらその人が美しくなったからって、その人を美しいとは思わないでしょう。
なぜなら、
それ以前に、「美しくなりたい」という動機自体が、「美しくない」からです。
「きれいになりたい」だの、
「生まれ変わりたい」だの、
そういう人間の意思は、みみっちくて、欲深くて、
「美しさとは程遠いな」と思うだけなのです。
本当に美しいものは、当然、動機なんてみみっちいものは持ちませんから。
美とはなんですかね?
僕は、美を知っていると思っています。
そして、それは意見ではありません。感覚として、知っているんです。
一つ言える事は、そもそも、美しさとは、希少価値があるから、美しさたりえているわけです。
美とは特権的なんです。むしろ、絶対的でなければ、それは美とは言えません。
排他的で、醜いものを浮き彫りにしてしまうほど、残酷なものです。
だから、人間などは、そもそも論外なのです。
by boku-watashi
| 2011-02-22 21:06
| エッセイ