2012年 11月 21日
性欲とは何か |
厚生労働省研究班が2010年9月に実施した調査によると、
16~19歳の男性の36%が、セックスに「関心がない」または「嫌悪感がある」と答えている。
08年の前回調査結果より19%近く増加した。
女性はセックスに対してそれ以上に消極的だ。16~19歳でセックスに「関心がない」または「嫌悪感がある」と答えた女性は実に59%。08年より12%ほど増えた。少子高齢化と人口減少に頭を悩ませる日本に追い打ちをかけるような数字だ。
僕は以前、次のようなエッセイを書いたことがある。
「性欲」とは、具体的にどんな欲求のことなのか、今だかつて誰も明言できていない。
通常「性欲」は、人間の三大欲求というカテゴリーの中の一つと数えられ、
食欲・睡眠欲と並列に扱われる概念だが、他の二者に比べて、この「性欲」の定義は曖昧である。
大方の人の定義は、「セックスをしたい」という欲求だと言うだろう。
あるいは、一歩根源的な場所に進んで、「子孫を残したい」という自己保存の欲求のことだ、と言うかもしれない。
どちらにせよ、「欲求」と「行為」が直結して考えているのが常である。ひとまず、その常識を私は退けたいと思っている。
まず、「性欲」と「性的行為」は、違う位相に属している、ということは何度主張されていいだろう。
その最たる例が、とりもなおさず、セックスなのである。
こう考えてみたらよい。
もし、セックスの基本的な動作、つまり、「性器の出し入れ」という反復行為が「慣習化」されていない人が、
その行為自体を自然な「欲求」として抱けるだろうか?
これは、考えてみると、どうしたっておかしなことだとしか思えない。
「性器を性器に入れ反復運動をする」という行為は、「お腹がすいたからものを食べる」ことや、「眠いから眠る」ことに比べて、まったく自然な「欲求→行為」ではない。
ここには、自然な「欲求→行為」という図式からの「飛躍」がある。
それはそのはずで、セックスとは、人間にとっては「社会的契機」そのもので、逆に言えば、「社会的契機」がなければ、永遠に「発見」されない可能性だってあるのだ。
それは論理の飛躍だ、と言われるかもしれないが、私は一般論として、無理にも次のような結論を掲げたいと思う。
つまり、「セックスがしたい」という「欲求」自体は、先んじて存在などしない。
もし、「セックスがしたい」という「欲求」があるとすれば、それはセックスを経験し、それが習慣になっている人の、いわば「習慣欲」の一つでしかない。
「習慣欲」から生じている「行為」など、それこそ世の中に腐るほどある。
タバコを吸うだとか、いつも同じところを曲がるだとか、いや、こう考えてみると、人間の営みのすべては、所詮「習慣欲」でしかないではないか。
また、こうも思う。
「性欲」が成立するには、「他者」を必要とする。
この点において、「食欲」「睡眠欲」と区別されなければならない。
よって、「性欲」は、インスタントには満たせないものとされる。逆に言えば、長く持続する類の欲求であるとも言える。
私は「性欲」を「他者からの承認」と定義している。「他者から承認される」ことは、多かれ少なかれ、「性欲」を満たす。つまり、「性欲」とは「承認欲」のことである。
そう考えると、もともと「性欲」とは、能動的な性質を持たないことになる。
少なくとも、その「性欲」が最高の形で達成されるのは、常に受動的な形態においてである。
転じて、「性欲」を考える場合、自己と他者との間の、損得勘定の関係性を見なければならない。
例えば、「他者に話しかける」という行為は、自己の一部を譲渡したことと同義である。この時点で、すでに傷つけられるリスクを負っている分、損をしているのだ。そこで、「相手がそれに返事をした」場合のみ、相手も同じ分だけ損をするリスクを負うので、イーブンとなるのだ。
この形態が、過剰に一方的であることを望むのが、「性欲」である。
人に見られたり。見られてなお、嫌われなかったり。
他者に承認されることは、社会的存在としての自己の輪郭を、多かれ少なかれ得ることに繋がる。そして、それは常にエロティックである。
私は、フェチズムも、すべてこの「承認欲」に端を発していると考えている。
例をあげてみよう。
例えば、手。指先。
特に女性の指先に顕著だが、そのなめらかさは、「理知性」という観念へ連なり、――つまり、感情的なブレによって裏切ることのない信頼・安心感につながり、それを視覚でかぎ当てたとき、女性の指先がエロティックに思えてくるのだ。
オナニーにしても、同じことだろう。
そもそもペニス自体、男にとっては「外部」であるのに、さらに、射精という現象の「第三者性」がそれに輪をかけているので、何度やっても、「他者にさせられた感」が残るので、それが擬似的に「承認欲」を満たす仕掛けになっているわけである。
とまぁ、そういうことなのである(?)。
性については、また、書く機会があるだろうが、今日はこの程度でやめておく。
ふぅ。
by boku-watashi
| 2012-11-21 22:21
| エッセイ